2008年08月19日
動物実験に対しての立ち位置
動物実験について鳥山鳥子さんがエントリ書いてますね。
動物実験している・していないメーカー-鳥山鳥子の肥溜め的人生
動物実験についてはずっと葛藤があります・・・
できるだけ考えに偏見を持たないようにしようとは思っているんですけど、やっぱり多くの動物はかわいいですからね。
いつも動物愛護のほうへと考えが寄りがちになっちゃう。
難しいですね。
動物実験って、賛成しようと反対しようと行き着く先は「生命の選別」なんですよね。
*動物じゃなきゃいいのか?
魚は?昆虫は?植物は?バクテリアは?細菌は?全部生命だ、どこかで線引きできるのか?誰が線引きするのか?
*代わりの実験方法は?
代わりの実験方法は生命を殺さないのか?
じゃあ生命を殺さなければいいのか?
そもそも生命って何だ?どこから生命なんだ?今決めてる「生命」の定義は正しいのか?
・・・賛成しようと反対しようと、誰かがどこかで「生命の選別」をしなきゃならない。
個人的には「条件付きで賛成」という立場が最も合理的じゃないかとは思うんですが・・・
それが正しいかどうかといわれれば、それも正しくはないです。
確実に間違ってます。
でも、どこを選んでも別のどこかから見れば「間違い」であり「悪」なんです。
だからこそみんな悩み、苦しむ。争いもする。
安易に答えは出せない、と思ってます。
自分でどこまで自覚的に「間違い」を背負えるか。
そこの判断でそれぞれの立ち位置が決まるように思えます。
そして、そこに正解なんてものはない。
それぞれがそれぞれに信じた考えのもとで生きるだけ。
安易に答えは出せませんが、現時点で自分がどこに立つかといえば
「動物実験はよほどの理由がない限りは反対、でもどうしても必要なら賛成、必要かどうかの基準は案件次第」
というところになるでしょうか。
グレーですけど、グレーにいながら「白だ」と思い込むよりは自覚的に罪を背負うほうがいいです。
皆さんはどうでしょうか。
動物実験している・していないメーカー-鳥山鳥子の肥溜め的人生
動物実験についてはずっと葛藤があります・・・
できるだけ考えに偏見を持たないようにしようとは思っているんですけど、やっぱり多くの動物はかわいいですからね。
いつも動物愛護のほうへと考えが寄りがちになっちゃう。
難しいですね。
動物実験って、賛成しようと反対しようと行き着く先は「生命の選別」なんですよね。
*動物じゃなきゃいいのか?
魚は?昆虫は?植物は?バクテリアは?細菌は?全部生命だ、どこかで線引きできるのか?誰が線引きするのか?
*代わりの実験方法は?
代わりの実験方法は生命を殺さないのか?
じゃあ生命を殺さなければいいのか?
そもそも生命って何だ?どこから生命なんだ?今決めてる「生命」の定義は正しいのか?
・・・賛成しようと反対しようと、誰かがどこかで「生命の選別」をしなきゃならない。
個人的には「条件付きで賛成」という立場が最も合理的じゃないかとは思うんですが・・・
それが正しいかどうかといわれれば、それも正しくはないです。
確実に間違ってます。
でも、どこを選んでも別のどこかから見れば「間違い」であり「悪」なんです。
だからこそみんな悩み、苦しむ。争いもする。
安易に答えは出せない、と思ってます。
自分でどこまで自覚的に「間違い」を背負えるか。
そこの判断でそれぞれの立ち位置が決まるように思えます。
そして、そこに正解なんてものはない。
それぞれがそれぞれに信じた考えのもとで生きるだけ。
安易に答えは出せませんが、現時点で自分がどこに立つかといえば
「動物実験はよほどの理由がない限りは反対、でもどうしても必要なら賛成、必要かどうかの基準は案件次第」
というところになるでしょうか。
グレーですけど、グレーにいながら「白だ」と思い込むよりは自覚的に罪を背負うほうがいいです。
皆さんはどうでしょうか。
Posted by ふくすけ at 21:54│Comments(5)
│戯言
この記事へのコメント
>皆さんはどうでしょうか。
といわれるのでコメントしますね^^
(諸外国)鯨を取るな!(日)牛食うな!
食の問題に限らず、人は生きていく間に多くの命の犠牲の上に生きています。
人間というのは、唯一命の大切さを学習しなければ分からない生き物です。幼い頃に昆虫や小動物を殺す(結果的にでも)ことで、その儚さを知るのです。
ある聖人が弟子に蟻を踏んで殺してしまっていると言われました。聖人は 次から気をつけようと言ったのです。
命は連鎖しています。全てを救う事など出来ないのです。その大切さを知り敬い、感謝する事です。
人が他の命を弄んで良いはずはありません。ただ人は人を救うように出来ています。例えば難治性の病気の治療薬。この為の尊い犠牲は必要なのではないですか。
と言っても、そこに経済とかいった人間社会のいやらしさも生じます。
全ての人がその事象や物が何の犠牲の上に成り立っているかを自覚する事によってのみ、罪が許されて行くのだと思います。
人も蟻も小動物も同じように命を持ち、その事自体、その優劣に宇宙から見ればなんら差はないのです。
人だけが他の生物に対して命を奪って良い悪いの選択権があるように思うのは、間違いだと思っています。
要するに不必要な殺生であるなら、それは避けるべき、するべきでないと思いますね。またそれに向かって努力すべきでしょうね。
といわれるのでコメントしますね^^
(諸外国)鯨を取るな!(日)牛食うな!
食の問題に限らず、人は生きていく間に多くの命の犠牲の上に生きています。
人間というのは、唯一命の大切さを学習しなければ分からない生き物です。幼い頃に昆虫や小動物を殺す(結果的にでも)ことで、その儚さを知るのです。
ある聖人が弟子に蟻を踏んで殺してしまっていると言われました。聖人は 次から気をつけようと言ったのです。
命は連鎖しています。全てを救う事など出来ないのです。その大切さを知り敬い、感謝する事です。
人が他の命を弄んで良いはずはありません。ただ人は人を救うように出来ています。例えば難治性の病気の治療薬。この為の尊い犠牲は必要なのではないですか。
と言っても、そこに経済とかいった人間社会のいやらしさも生じます。
全ての人がその事象や物が何の犠牲の上に成り立っているかを自覚する事によってのみ、罪が許されて行くのだと思います。
人も蟻も小動物も同じように命を持ち、その事自体、その優劣に宇宙から見ればなんら差はないのです。
人だけが他の生物に対して命を奪って良い悪いの選択権があるように思うのは、間違いだと思っています。
要するに不必要な殺生であるなら、それは避けるべき、するべきでないと思いますね。またそれに向かって努力すべきでしょうね。
Posted by まさる at 2008年08月22日 11:52
>まさるさん
貴重なご意見感謝です。
不必要な殺生は避けるべき、まったく同感です。
ただ、何が必要か不必要かを判断するのが人である以上、その判断を簡単には受け入れられないというところがあり、そこが悩ましいところだと思うのです。
常に身勝手な主観で生命は奪われる、という基本ありきで考えないといけないなぁと。
「この生命は目的のために必要か?」という問いかけは常にあり、その時その時で答えを出さざるを得ないわけです。
そこで「全ての命を救うことはできない」と悟ってしまうのはむしろ簡単で、実はそう悟ることで悩むことから開放されてしまうんじゃなかろうか、そうも思うんですね。
もっと言えば「悟ってしまう」考え方は欧米型で、「だってしょうがないじゃん!」っていう開き直りに繋がっちゃうんじゃないかと。
「クジラやイルカは頭がいいから殺すなよ!牛とかはいいんだよバカだから」見たいな考えもそういったハンパな悟りが根っこにあるのでは?
「答えを出さないまま、悩みながらも生命を奪い、糧として生きる」というのが最も真摯な生き方なんじゃないか。
そう考えると憂鬱になりますけど、そういうもんじゃないかと思っています。
また、生命を奪うことは許されることではない、とも思います。「許す」という考え方もまた強い主観からくるもので、開き直りに繋がると思うので。←中世ヨーロッパの宗教戦争なんかは「いい事をしているから人を殺しても神に許される」なんていう主観からくる勝手な言い分がまかり通った話ですし。
もちろん、より良い結果に向けて「努力すべき」という点は大賛成です。
ただ、努力しつづけることすらも難しい、と忘れないでいることのほうが大事なんだろうな、と。
うーん、なんか考えがまとまらないですね。
話がぐちゃぐちゃになってるかな。
貴重なご意見感謝です。
不必要な殺生は避けるべき、まったく同感です。
ただ、何が必要か不必要かを判断するのが人である以上、その判断を簡単には受け入れられないというところがあり、そこが悩ましいところだと思うのです。
常に身勝手な主観で生命は奪われる、という基本ありきで考えないといけないなぁと。
「この生命は目的のために必要か?」という問いかけは常にあり、その時その時で答えを出さざるを得ないわけです。
そこで「全ての命を救うことはできない」と悟ってしまうのはむしろ簡単で、実はそう悟ることで悩むことから開放されてしまうんじゃなかろうか、そうも思うんですね。
もっと言えば「悟ってしまう」考え方は欧米型で、「だってしょうがないじゃん!」っていう開き直りに繋がっちゃうんじゃないかと。
「クジラやイルカは頭がいいから殺すなよ!牛とかはいいんだよバカだから」見たいな考えもそういったハンパな悟りが根っこにあるのでは?
「答えを出さないまま、悩みながらも生命を奪い、糧として生きる」というのが最も真摯な生き方なんじゃないか。
そう考えると憂鬱になりますけど、そういうもんじゃないかと思っています。
また、生命を奪うことは許されることではない、とも思います。「許す」という考え方もまた強い主観からくるもので、開き直りに繋がると思うので。←中世ヨーロッパの宗教戦争なんかは「いい事をしているから人を殺しても神に許される」なんていう主観からくる勝手な言い分がまかり通った話ですし。
もちろん、より良い結果に向けて「努力すべき」という点は大賛成です。
ただ、努力しつづけることすらも難しい、と忘れないでいることのほうが大事なんだろうな、と。
うーん、なんか考えがまとまらないですね。
話がぐちゃぐちゃになってるかな。
Posted by ふくすけ at 2008年08月22日 12:37
>うーん、なんか考えがまとまらないですね。
>話がぐちゃぐちゃになってるかな。
私も^^
コメント返信ありがたいですね(謝々)
私は30分ほどこの二つのコメント見てうだうだ考えてましたが、追加コメントやめました(笑)
難しいですな^^
>話がぐちゃぐちゃになってるかな。
私も^^
コメント返信ありがたいですね(謝々)
私は30分ほどこの二つのコメント見てうだうだ考えてましたが、追加コメントやめました(笑)
難しいですな^^
Posted by まさる at 2008年08月23日 03:23
その実験で ウチの子の薬ができるなら賛成
おちゃらけた話じゃありません、
多くの事象はここから始まるのではないでしょうか。
人の進歩という言葉が
他者への破壊と同義語であるように感じられてなりません。
それじゃぁ悲しいので なんとか否定したいと思っていますが。
流してはいけない記事と感じつつ
難しすぎてコメントが遅くなり
おまけに書けることはこのくらいですww
おちゃらけた話じゃありません、
多くの事象はここから始まるのではないでしょうか。
人の進歩という言葉が
他者への破壊と同義語であるように感じられてなりません。
それじゃぁ悲しいので なんとか否定したいと思っていますが。
流してはいけない記事と感じつつ
難しすぎてコメントが遅くなり
おまけに書けることはこのくらいですww
Posted by zoo at 2008年08月23日 20:56
>zooさん
そうですよねー、なかなかこういうことは書くのが難しいww
そんな中こうやってコメントいただけるというのはありがたいことです。感謝!
>人の進歩という言葉が他者への破壊と同義語
結局エゴイスティックな判断からは逃れられないんだと思いますよ?
エゴと理性とのせめぎ合い、という図式はずーっと変わらないんじゃないでしょうかねぇ。
そうですよねー、なかなかこういうことは書くのが難しいww
そんな中こうやってコメントいただけるというのはありがたいことです。感謝!
>人の進歩という言葉が他者への破壊と同義語
結局エゴイスティックな判断からは逃れられないんだと思いますよ?
エゴと理性とのせめぎ合い、という図式はずーっと変わらないんじゃないでしょうかねぇ。
Posted by ふくすけ at 2008年08月28日 07:26